Ogic Historyオージックの軌跡
軌跡-OGIC HISTORY

今の当社があるのは、創設からさまざまな試練や困難を乗り越えてきたからこそ。
その時代を共に歩んできた足立義宏(元専務)、清水市蔵(元常務)、田中修二(取締役相談役)よりお話を伺いました。
これより、オージックの歩みを辿ります。

~序章~

昭和8年 OGICの前身となる中井歯切工場が創設。
戦中戦後とその時代の荒波を乗り越え、現在の姿になるまでには多くの苦難があった。
不安定な情勢の中、急激に変化する時代の流れに上手く順応するためには、一つの枠にとらわれない柔軟な発想とものづくりに対する真摯な取り組み、作り出す人との"和"を大切にする心にあった。日本だけに留まらず、いち早く世界に目を向けたことで最先端の技術を身につけ、世界に通用する高品質な製品を作り出すことに成功。
今日の当社があるのは、これまでの軌跡に見ることができる。

創業者・田中栄蔵

1933
昭和8年

創業者・田中栄蔵が令兄と共に立ち上げ、順調な経営を続けていた。創設から5年が経とうとする時、いつ本格的に戦争が始まるか恐々とする中、次第に戦争の色が濃くなり、従業員が徴兵で戦地へと駆り出され、会社の存続が危ぶまれた。
今後どうなるか先行きも分からない状況のその時に、松下電機産業からM&Aのオファーを受ける。
当時の松下電器産業は、航空や造船・工作機械等の軍需産業に乗り出しており、これら機械関係の工場を立ち上げるために歯車製作の技術がどうしても必要だった。
そこで、確かな技術を持つ中井歯切工場に白羽の矢を立てた。

1945
昭和20年

松下電器産業のM&Aを受け12、3年が経つころ、松下電器産業は100%子会社として松下金属を立ち上げる。松下金属の本社工場は滋賀県守口市にあり、松下金属の一つの棟の中に歯車工場として中井歯切工場は組み込まれた。
その後、松下金属は解散となる。

1952
昭和27年

松下金属が解散となり、満足な退職金が得られる訳でもなく、時代の流れを痛切に感じた時であった。この時、一つの転機を迎える。
これまで苦労を共にしてきた従業員と培った技術を失うことは、あまりにも惜しい。何とかできないかと考えた田中栄蔵は、松下本社に嘆願し、退職金代わりという名目で株を譲り受ける。 その一年ほど前昭和26年頃から、積極的に顧客開拓に乗り出し、ある程度の基盤固めが出来た後に満を持して独立を果たす。
ここに松下電器関連会社として、株式会社大阪歯車工作所が設立する。
当初株の90%は松下電器産業が、残り10%を田中栄蔵が保有していたが、経営の舵取りは田中栄蔵が行った。かつて松下金属で管理職も経験しており、松下の経営手法に則り手腕を奮った。

1970
昭和45年

製造品質が充実してきたのを機に、松下電器の持ち株を買収し、実質的な独立を果たす。
これは偏に、ものづくりに対する製作担当者の情熱と会社のためを想い日々奔走し、仕事を勝ち取ってきた営業の賜物であった。
この頃から通常の歯車製作だけでなく、高級研削歯車の製作にも着手し始める。その当時では最先端の機械を導入する。
導入後、稼働し始めてからの顧客探しでは商機を逃すと考えた営業部隊は、製作段階ではない内から顧客から注文を受けていた。これは、製作部門との固い信頼関係で結ばれていないと実現しない、荒技である。一つ間違えれば、顧客の信頼を失う行為だからだ。
この無謀ともいえる営業活動が功を奏し、着実に業績を伸ばしていく。

  • 社内レクリエーション

  • 社員旅行

1979
昭和54年

ギヤの新分野進出を目指し、新鋭機の導入に備えた新たな工場用地を確保。現所在地である東大阪に全面移転する。
設立当初から従業員を自分の家族のように大切にしてきた初代社長は、社員旅行や社内レクリエーション等を実施し、アットホームな社風づくりに注力した。お客様が喜ぶものをつくり、常に新しい技術を取り入れるには、従業員一人ひとりの努力と結束が重要であり、その環境を作り出す必要があると考えたからである。

マーグ研削盤

1982
昭和57年

会社設立30年を迎える。「高級歯車の製造こそ、厳しい内外の競争に打ち勝つ唯一の生きる道」と経営方針を掲げ、前年度より積極的に設備投資を行う。
技術向上に情熱を傾け、世界最高水準といわれるライスハウエル社やマーグ社の研削盤を導入するなど常に設備の充実を図る。厳重な品質管理と高付加価値製品の開発で取引先の信頼を得る。

二代目 田中修二 (現取締役相談役)

1985
昭和60年

昭和27年以来、社長を務めていた田中栄蔵から、田中修二(現会長)が社長に就任。
会社の若返りを図るための社長交代である。
歯車市場の変化や取引先の要求の多様化に対応するべく、設備投資を惜しまず全国でも有数の設備を保有する。「優れた設備でより良い製品を」ポリシーに、取引先の精度要求に応える体制を作り上げる。この頃から、経理や事務関係のコンピューター化を導入し、時代の変化に対応できる環境整備を進める。

1987
昭和62年

これまで好不況に関わらず、一定の設備投資を続けてきたことによって顧客ニーズにマッチした製品の製作が可能に。受注ペースは増加の一途をたどり、それに応えるために進めていた新工場の建設が完了。同年、本格稼働を開始した。生産体制の効率化、製品の高精度化を進め顧客ニーズに対応できる体制づくりを行う。

1991
平成3年

1989年より計画していた社内体制改革の一環であるCIを実施。社名を株式会社オージックに変更する。これは当時、輸出から内需への転換、産業構造の変革、若年労働者の製造業離れなどの長期的な問題が浮上、CI導入によって社員意識の向上と新卒採用者の募集拡大のための施策であった。
社名は社内募集で決定した。
これを機に、これまで培ったノウハウを基に多角化経営を推進していく。

1997
平成9年

新空調システムを採用し、24時間365日恒温・恒湿体制を整えた新本社工場が完成する。生産現場の充実ももちろんのことながら、社員が楽しくなるようにと、屋上にテニスコートを設ける。食堂や会議室などの福利厚生も充実し、社員を大切にする心は先代から継承され実践されている。

2001
平成13年

海外メーカーの最新鋭機器など設備投資を繰り返し、顧客ニーズの多様化、高品質製品の安定化に務める。また、多品種少量・短納期に対応するため、計画の随意変更が可能な生産計画シミュレーションとPOP(製造時点情報管理)を組み合わせたコンピューターシステムを導入。このような徹底した納期管理を行うことで、顧客の絶対的な信頼を獲ることができ、無駄な人的コストも抑えることに成功。右肩上がりに業績を伸ばす勝因でもあった。

三代目 田中文彦(現・代表取締役社長)

2006
平成18年

田中文彦が社長に就任。三代目の若社長は積極的に事業改革に取り組んでいる。若い人材の製造業界離れがますます加速するなか、若く優秀な人材を確保するためにも、歯車製造のイメージアップに力を入れている。
2008年には国外の展示会に続々と出展。国内外を問わず事業拡大を進める。

田中文彦と井磧謙之(現・代表取締役会長)

2013
平成25年

精密部品加工のイセキテック株式会社のM&Aを実施し、精密部品加工技術を更に強化する。
企業経営を取り巻く環境が速いスピードで変化していく中、特殊加工、超高精度加工においてオージックとの双方の強みと総合力を武器に、幅広い要望に応えることができる体制を作り上げた。

2016
平成28年

2016年7月1日付で株式会社オージックは、イセキテック株式会社を消滅会社とする吸収合併を実施した。イセキテックの高い技術ノウハウを活用し、超高精度加工の一層の販売拡大のために、オージックの持つ総合的な技術力・生産力を活用することにより、一層の製品競争力の強化を図ることが必要と考えたからだった。

株式会社オージックは、高品質・小ロット・多品種を要求される高級歯車製作や特殊加工、超高精度加工は大手企業からの信頼も厚く、国内外を問わずトップクラスの品質を維持している。今後、顧客ニーズはますます多様化しており、専門性の高い技術力が要求されるであろう。
その中で当社は、更なる技術革新を推し進め、常にトップランナーとして走り続けていく。

会社案内TOP

株式会社オージックHome

事業領域 Business Field

Vision

会社情報About Us

採用情報Recruit

お問い合わせContact Us